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こんにちは。
フランス第3の都市リヨン近郊のグリニー窯の、最初の陶器工場は1829年に、もともとフランス北部のル・アーブル近くのアール・フルール出身のディシアン家によって設立されました。
グリニー窯はフランスで初めて石炭の窯を使用し、サンテティエンヌとリヨンの間にフランス初の鉄道路線が開通し、燃料である石炭の迅速かつ経済的な輸送が可能になり、陶器の製造が可能になりました。
ローヌ川は製造中の水の需要を満たし、また多くの大都市に販売口を提供しました。
1834年には銅メダル、1839年には銀メダルなど、後に有名な万国博覧会となる国立芸術と産業博覧会で受賞しました。
1838年には2番目の陶器工場を開設。
ファイアンス・フィヌ(高級陶器)に加えて、軟質磁器を生産し続蹴ましたが、1841年に破産。
家族の財政協定のおかげで最初の工場は維持されましたが、1855年のパリ万国博覧会でメダルを獲得したにもかかわらず、最終的には経営不振に陥り1860年から1880年の間に閉鎖されました。
2 番目の工場は、歴代の取締役によって巧みに管理され、1951年まで生産を続けましたが、その後、最後の所有者であるラブリュ兄弟によってオート サヴォワ県のトノン・レ・バンに移されました。
1880年頃、ペルティエが3番目の陶器工場を設立。せっ器を製造しました。1896年にはバイ会社はヴィタル・ボリーに引き継がれ「ファイアンスリー・リヨネーズ」と名付けられました。
ディシアンのような高品質でありながら、低価格のファイアンス・フィヌを製造しました。
また1830年頃、ローヌ地方の小さな町アルボラで、デカーンは高級陶器の事業を始めました。9年後彼は近郊のグリニー工場を合併しました。1867年デュノー・モットに売却されました。
デカーンは革新者で、石炭を使って制作した最初の一人です。ペーストと釉薬を進歩させ、近郊からのカオランを使用して硬磁器と軟磁器を製作しました。作品は非常に地味で、装飾はなく、葉の様な縁を備えた四角いカップや水差しは、その形の優雅さだけで価値があります。最も一般的な作品はトゥルネー磁器のスタイルで、細かいブルーの花飾りで装飾されています。
1914年から1918年は戦争によりすべての活動が停止されましたが、
1920年に「ファイアンスリー・ヌーベル・ド・ジヴォール」という名前で引き継がれ、約250人の従業員が従事していましたが、1958年に完全に閉鎖されました。
こちらは「FNG ファイアンスリー・ヌーヴェル・ジヴォール」とマークがあります。1920年から1930年のお品の様です。
丸い形の蓋付きのスープボウルです。
真っ白な陶器地にグリーンとルージュのアエログラフ(エアースプレイ)で交差したラインが描かれ、美しいチェック柄を構成しています。
アール・デコらしいシンプルでスタイリッシュなスーピエールです。
他のチェックの食器と合わせて、色合いからクリスマスの食卓にもぴったりだと思います。
お好きなスープや、お料理にお使い下さい。
蓋の縁に一ヶ所極小のチップ、本体内側に変色があります。
直径26cm 幅33cm 高さ17cm 重量1900g
価格は商品代11350円、フランスからの送料11350円です。